詩砂 第2話

 ・・・少なくとも、俺には君の方が失礼だと思えたけど。

 言葉が頭の中で何度もリフレインする。黙った私を気にすることもなく黒髪の男は話を続けた。
「言わせてもらうけど、君の方こそ俺らの何をわかっているって?」
 返す言葉が見当たらない。俯き、黙って聞いていることしかできなかった。
表現しようもない感情が心の奥底で湧き出てくる。下唇を噛みしめて、いっこうに震えがおさまらない左腕を右手で強く握った。
「・・・初対面の、しかも女性に向かってテメェよばわりしたり、殴りかかったり、サキも悪かったとは思う。けど、自分たちが信念持ってやっていることを馬鹿にされたら怒りたくもなる。」
なにもかも彼の言う通りだ。怒りにまかせて吐いた暴言に今更ながら後悔する。後悔先に立たずとはこのことだ。私はいつでもこうなのだ。

・・・そう、あの時だって。

「音楽のことがわからないって言われてどう思ったのかしらないけど、君の価値観があるように、俺らには俺らの価値観がある。だから、それを愚弄されるいわれはない。」
「そうだぞ!馬鹿にされる覚えなんか…」
「サキは黙ってろ。」
「ぅ…。」
「ルイ、もうそのへんにしとけ。サキもだ!」
「・・・わかったよ」
「おいアンタ、顔真っ青だけど・・・大丈夫か?」
 そう言って隣人が、見上げるようにして顔を覗き込んできた。
返事をする間もなく、視界に飛び込んできたのは彼の特徴である髪の色。ドクンッ、と衝動が走る。駄目だ、思い出しちゃ。
真っ赤な色。脳裏に焼きついた映像。赤い、赤い、赤い。駄目、思い出すな・・・!
上がる叫び声。感じる左手の熱さ。光景がフラッシュバックする。
ダメだ、ダメ・・・。対照的な白、黒・・・。

 染まる、血の色。

「いやああああああああぁぁあぁぁぁあぁ!!!!!!」
 左手を右手で握ったまま、高く上げる。
とめなきゃ、早く、はやく血を・・・!動かなくなっちゃう、ピアノが、弾けなくなっちゃう!
そんなの嫌だ・・・!皆が、はなれていく・・・!
「お、おい・・・!?」
「っ・・・助けて、誰か・・・!だれか・・・!!」
 助けてと、頭を抱えながら言い続けた。そのとき自分がどんな行動をとっていたのかは、まったく覚えておらず、かろうじて覚えていたのはどこか遠くのほうで聞こえる、落ち着けと繰り返すどこかやさしげな声だけだった。そこで私の意識はブラックアウト。私は、また、やってしまったのだった。

 そういうわけで、今に至る。安定剤でも打たれたのだろう。朝までぐっすりだった。
隣人だけでなく彼の友人達にも、醜態をさらしてしまった。同じ病室にいる限り、否が応でも会うことになる。
 まったく、どんな顔をすればいいのか。
同情のまなざしを浴びることになるのだろうなと自嘲しつつ、一呼吸置いてカーテンを開けた。
隣人のベッドはカーテンが引かれていて、顔を合わせなくてすんだ、と安堵したのもつかの間、カーテン越しに声がかかった。
「・・・ハヨ。気分どーよ。」
心配、してくれているのだろうか。それとも、同情だろうか。
「・・・おはようございます。昨日は、取り乱してすみませんでした。」
「おう。なあ、アンタさ。赤・・・ダメなのか?」
「っ・・・!そうよ、悪い?!」
「全然。気が合うな。俺も、苦手じゃねーが嫌いなんだ。」
「嘘。だったら何で、そんな・・・」
「戒め。」
「え・・・?」
「なあ、アンタ名前は?」
どういうこと、という前に逆に問いかけられてしまった。ギシ、とベッドから降りる音がする。
 私は、カーテンを見据えたまま答えた。
「・・・静菜。御園静菜。」
「俺は、佳枝幸樹。カエでいい。よろしくな、静菜チャン。」
カーテンを開けながら言った彼は、少しだけ嬉しそうに笑った。ちらりと見えた八重歯がなぜか可愛く思えてしまって、私は素直に頷いた。
「え、あ・・・。ハイ。あの・・・昨日は、かばってくれてありがとう。馬鹿にして、ごめんなさい。」
落ち着け、私。こういうことは最後までちゃんと顔を見て言わなければ。そう思って顔を上に向けようとしたら、彼の手によって遮られた。そのまま、頭をぐしゃぐしゃとなでられる。
「無理すんな。パニクられたら俺が迷惑。」
人の手って、こんなにあたたかかったっけ。
失礼なことを言われているはずなのに、ぶっきらぼうなその言葉が少し嬉しかった。
「よしえだ・・・カエさん。」
「さん、は余計。カエでいい。」
「じゃあ、カエ。」
「なんだよ。」
「変な人ね、あなた。」
最後までちゃんといえていただろうか。こぼれそうになる涙を耐えながらそれだけ言った。
「アンタの減らず口はオプションかよ・・・。」
「まあ、そういうのも可愛いんじゃないの。」
「俺はこんな気の強いヤツ嫌だけどな。」
驚いてドアの方を見れば、金髪と黒髪の二人の姿があった。
「てめえら・・・いつからそこに・・・」
「カエの『気分どーよ』くらいから?」
金髪頭がにやにやしながら答える。
「さ、最初じゃない・・・!!!」
「そうとも言うね。ハイ。」
黒髪の彼が言いながら、私に花束を差し出した。花束、お見舞いとか禁止じゃなかったっけ。訳がわからず、差し出された花束と彼の顔を何度か見れば、お詫びを兼ねたお見舞いだと言った。
「女の子は、花とか好きでしょ?ブリザードフラワーとかいうやつ。枯れないから大丈夫。」
「頂いて、いいんですか。」
「うん。昨日は、ゴメン。ちょっと言い過ぎた。ええと、御園さんだったよね。俺は朝生涙。涙ってかいて、ルイね。んで、この喧嘩っ早いガキンチョが・・・」
「だー!ガキガキうるせぇよ!片桐沙紀。サキでいいぜ。」
「オマエは、バカでいいだろ。」
「カエ、サキはアホだろ。」
「どっちも一緒だろ、ルイとカエのばかやろー!!」
「・・・ふふ。」
「あ。」
金髪頭もといサキが私のほうを指差す。
「な、なによ・・・。」
「いま、笑ったろ。」
「…わ、笑ってない!!」
「いーや、笑ってた!」
「笑ってないってばっ…!」
自分で言っているのに、なんだかおかしくなってきて笑ってしまった。入院生活がはじまってから、こんなに笑ったことがあっただろうか。
本当に、久しぶりに笑った気がした。

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