詩砂 第1話

 目が覚めるとそこはいつもと変わらない白の世界で、私は少しだけ肩を落とす。
視線を左へやれば真っ白なカーテンが空調からの風でやわらかく揺れている。
その向こうで眠っている人の事を考えると、ほんの少しだけ鼓動がはやくなった。
 けれどそれは、恋愛感情よりも叱られるのではないかと怯える幼子の心情にひどく似ていた。

 隣のベッドが埋まったのは、1週間前のこと。
 新しくこの白い箱の住人になったのは、真っ赤な髪の色をした男だった。
背がモデルみたいに高くて、色白。線の細い人、というのはこういう事を言うのだと思った。
整った顔のうち少しつりあがった目が印象的で、その瞳に時折浮かぶ獲物を捕らえる肉食動物のような眼光が怖かった。
恐怖とも畏怖ともいえない感情も手伝って、彼と言葉を交わすことはおろか顔を合わすことすらなかったのだけど。

・・・そう、昨日までは。

 病人が派手なら見舞いにやって来る人たちも派手で、その中でも特に黒髪と金髪のハリネズミ頭は目立っていた。
 彼らは毎日のようにやって来ては、くだらない話をして帰っていく。
そんな無意味とも取れる行動に、私は好意を持つことはなくむしろ嫌悪に近い感情を抱いていた。
 そしてその"無意味な行動"は昨日とて例外ではなく、朝から隣のベッドには彼らの姿があった。
特にすることもなかった私はカーテン越しに彼らの話に耳を傾けつつ、時間をつぶすために院内の売店で購入した文庫本へ視線を落としていた。

「・・・でさぁ、そいつ等Bloomはもう終わりだとか言いやがったんだぜ!?カエがいないからって図に乗りやがって・・・あーマジ腹立つ!!」
「で、この阿呆が俺の静止を聞かずにそいつらに食ってかかって、乱闘になった、というわけで。」
「あぁ、もう・・・お前ら本当馬鹿だろ・・・!!なにもハコん中で乱闘起こさなくたっていいだろうが・・・!出入り禁止になったらどうしてくれんだよ!!」
 外見からして想像はしていたけれど、彼らはバンドを組んでいるらしかった。
こんなところで愚痴を言う暇があるならスタジオに入って練習でもした方がよっぽど有意義なのに。
「・・・でもさ、これでも気をつけてんだよ?!今回だってあっちから絡んできたから・・・!!」
「わかった!わかったから、きゃんきゃんわめくな騒がしい。」
「ごめん、今度からは気をつけるから・・・・。」
 意気消沈したように、小さくなった声が耳に届いた。こういう人種、見ていて本当に苛々する。
後悔するくらいなら、はじめからしなければいいのに。

・・・バカみたい。

「・・・んだと!」
 どうやら言葉に出していたらしく、手前に座っていた金髪の耳に入ってしまったらしい。
読んでいた、というよりも眺めていた本を閉じ、声の方へと目線をやる。
カーテンを勢いよく開け、睨みつけてくる金髪ハリネズミの姿。隣人には劣るけれど、美少年と称されてもおかしく彼の顔が、怒りで歪んでいた。
 こういうバカは嫌い。いちいち反論して、すこしは我慢というものを覚えたらどうなの。きつく睨みつけてくるハリネズミに、私も負けじと睨み返して言葉を返す。
「・・・何か?」
「『何か?』じゃねぇよ!テメェ今何つった・・・!」
「・・・別に、何も。それと病院だってこと分かってますか?もう少し、静かにしていただけませんか。それとも、看護師さん呼びますか?」
「・・・ッ!このっ・・・」
間違っている事を言ったつもりはない。うるさかったのは確かだし。
金髪が立ち上がって、手を振りあげた。殴られる、そう思い反射的に目をとじ身構える。

―――パシンッ

 白い部屋に、乾いた音が響く。
けれど痛みは感じない。不思議に思い、閉じていた目をそっといた。その瞬間、視界にとびこんできたのは、鮮やかな赤色。一瞬にして、体がこわばっていくのが分かった。
「・・・ってー。」
「わ・・・!ご、ごめん・・・!カエ、ごめん・・・大丈夫?痛い?」
「・・・痛ぇよ、ばーか。ったく、そんなんだから、女にモテねーんだって。」
カエと呼ばれた赤髪の男は、その場に座り込んで、人を小馬鹿にしたような笑みを見せた。
「なっ・・・!それは関係ないだろ!?っていうか、いきなりコイツが馬鹿みたいとか言うから・・・!!」
「それぐらいで手を上げようとするお前の方がおかしいの。それに、音楽のコトわかんないようなヤツには言わせておけばいーの。大体ね、こんなガキンチョの言うことなんて気にしていたらキリがないデショ。ほら、分かったら散った散った。男に迫られても俺は嬉しくねー。」
音楽のことが分からない、ですって?
私は震える左手を右手で押さえながら、半ば叫ぶように反論した。耳に入ってくる自分の声が自分のものとは思えなかった。
「・・・っ!失礼なこと言わないで!音楽のことが分からないって、アンタ達に何が分かるって言うの?!」
突然声を荒げた私に驚いたのか、座り込んだ二人がはじかれたようにこちらを見た。
「失礼、ね。」
私の言葉を遮るようにかけられた声は、今まで一言も発することのなかった黒髪の男のもので。 声のした方に視線をやれば、壁にもたれかり腕組みをして私を睨んでいる姿がある。
「少なくとも、俺には君の方が失礼だと、思えたけど。」
怒りを抑えているのか、それともこういう口調なのか、声色は淡々としていて、小さかった。頭にのぼった血が、さめていくのが分かった。

こんなことになるなら、一瞬でもかかわりを持つようなことをしなければ良かった。

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