第四話:沈む夕陽のむこう


 遠くの方で、サイレンが聞こえる。私のぐちゃぐちゃに絡み合った感情は涙に溶けて、鎮火される炎のようにくすぶりを残しながら、ゆっくりと静まっていった。
「少し、落ち着きました?」
 やわらかくかけられた青年の声に頷くと、彼は良かった、と呟いた。
「・・・急に、泣き出したりしてごめんなさいね。それと・・・ありがとう。傍に、いてくれて。」
「・・・え。そんな、だって、約束したじゃないですか。花火一緒に見てくれるって。あれ、本気にしたの僕だけですか?」
拗ねるような声が聞こえて、青年の表情を想像するだけでおかしくて笑えてしまう。
「笑わないでくださいよ・・・。あ、でも花火もうすぐ始まりますよ。さっきのサイレン、その合図なんですよ。」
「そうなんだ。よく、知ってるね。」
「これでも花火師・・・見習いですから。」
 それで、火薬の匂いがしたのか。そう思って、私はぎゅっとタオルを握りしめた。
「見習いってことは、君も花火作ってるの?」
風が頬をなでる。青年は、答えなかった。不思議に思って彼を見れば、目を伏せて下唇を噛みしめている姿があった。
「・・・ごめん、なんか嫌なこと聞いちゃったかな・・・。」
「え、あ。違うんです。なんつーか・・・その。いろいろあって。全部花火駄目になっちゃって。本当は今日、俺の作った花火上がるはずだったんですけど。なんか、今更になって少し悔しくなって。ま、でも・・・終わってしまったことは仕方がないですよね。」
 そう言って、青年は苦笑した。その笑顔は、とても痛々しかった。
「そうだったの・・・。」
その呟きと同時に花火が打ちあがる。轟音を上げて咲く花は、夜空を照らし暗闇へと散っていく。私達は、しばらくの間何も言わなかった。ただ、咲いては散る花を見ていた。
どんなに辛くても、悲しくても、泣かなかったのは終わってしまったと認めたくなかったからで。だけど、本当は無理をしていた。私は、いつから泣けなくなったのだろう。
青年が顔を手で覆ったのを見たとき、良く似ていると、そう思った。
「・・・自分の気持ちには、嘘つけないんでしょう?」
 青年が私にしてくれたように、私はハンカチを差し出す。呟いた言葉は、青年の耳には届いていなかったかもしれない。けれど、伝わったのだと思う。彼は、泣くことができたから。

少しして青年が顔を上げた。その瞬間、夜空に咲いたのは今までよりもいっそう強い光を煌かせながら咲いた花火だった。赤、橙、黄、黄緑、緑、青、紫と次々とその色を変えていく。それは今まで見たことのない、虹色の花火。
「すごい・・・!ねえ、今の見た!?七色よ!虹色!!」
振り返ると青年は、驚いたような、困ったような顔をして私を見ていた。
「・・・なんで。全部、駄目になったはずなのに・・・。」
「え?」
 聞き返すと、青年は苦笑しながら答えた。
「さっきの、あれ、僕のなんです。僕が、つくった花火。」
 駄目になったはずの花火がどうして上がるのだとか、そんなの私にはどうでもよかった。ただ、目の前の感動だけが私の心をとらえていた。
「すごい・・・!すごいじゃない、君!あんな素敵なもの作れるなんて!花火師ってすごいのね!」
 思わず、青年の手をとって賛辞を述べる。すると、彼は一瞬驚き、ありがとうございますと微笑んだ。つられて、私も微笑み返す。まだ、上がり続ける花火の轟音の中私達は声を張り上げて話した。
「・・・今日、親父に言われたんですよ!」
「なにを?!」
「『今日の花火大会は、忘れらんねぇもんになるぜ』って!」
「そうなの。じゃあ、お父様は知っていたのかもね!君の花火が上がるって!」
「そうかもしれません!」
 そう笑いながら答えた青年は、どこか吹っ切れたような表情をしていた。
「無駄なことなんか、一つもないって言葉!なんか、今なら分かる気がします!」
 彼の言葉に、私は息を飲んだ。

――無駄になることなんて、一つもない。

たとえ、今は辛かったとしても。いつか、きっと報われる日が来る。

 花火大会の終了を告げるアナウンスが流れ、青年が口をひらく。
「今日は、本当にありがとうございました。」
「ふふ・・・。私のほうがありがとうというべきなんだけどな?」
「でも・・・僕、あなたに会えなかったら、きっと・・・花火師になるの諦めていたと思うんです。だから、ありがとう。」
「そっか。がんばってね。ここに・・・来年も、また見に来て良いかな。君の、花火を。」
 そう言うと、青年はもちろんですと、微笑んだ。
「ありがとう。私も・・・君に、会えてよかった。」

私は、笑って歩んでいける。たとえそれがどんな強がった生き方だとしても。
「じゃあ、このハンカチは、その約束の人質ってことで。」

「え、別にそれあげるのに。」
「やですよー。僕、タオル返して欲しいですもん。洗濯されたやつを、ですけどね?」
「あ、じゃあ洗濯しないで返そうかな?」
 静まり返った満点の星空の下、響き渡ったのは二人分の笑い声だった。




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