京都駅から市バスに揺られ、祇園駅を目指す。
無論一定区間内五百円で回れるバスカードで。
千年桜―それが今回の取材内容だった。
正確には、『桜メール』の真相に迫る、というもの。
千年桜を見つければどんな願いであろうと必ずかなう、という内容で受験シーズンも重なっている為か、中高生の間で流行しているらしかった。
この時期よくあるチェーンメールの類だろうが、その為に引っ張りまわされる私の苦労も考えて欲しいものだ。
そりゃ、本当だったら大スクープだけど。今どき誰がそんなもの信じるのよ。
本日何度目になるか分からない溜息をつき、鞄をかけなおす。こんなくだらない仕事さっさと終わらせて絶対に長期休暇とってやる・・・。
京都で年越しというのも風流だと思ったのだが、降りた先―祇園駅近辺は思ったよりも人はいなかった。
八坂神社を覗きたい気持ちはあったが、まずは千年桜。私は八坂神社を通り越して円山公園へと足を進めた。
公園内は観光客が減っているせいか緑が少ないせいなのか、とても閑散として見える。
その中でもどっしりとした存在感を感じさせていたのは大きな枝垂桜。
裸になってしまっている枝垂桜は春には見事な花を咲かせ、人々の心をとらえる。
「ここだと思ったんだけどな………」と、私はひとりごちた。
まあ、暖冬とはいえ年も終わろうこんな時期に狂い咲く桜なんてないわな………。
ベンチへと視線を移すと、空き缶や新聞を片付けている老夫婦の姿があった。
ずり落ちそうな鞄を肩にかけなおし、ベンチへと向かう。
「お手伝いさせてもらっても?」
私の言葉に老夫婦は一瞬驚いた表情を見せたが、人の良さそうな微笑みで快い返事をくれた。
私は鞄をベンチに置き、目に付くごみを集めながら尋ねた。
「御二人はこちらの方なんですか?」
「そうどす。あんたはんは観光にきゃはったの?」
「いえ、仕事で。千年桜という桜を探しているんです。でも・・・観光も兼ねてですけど」
ゆっくりしたくて、と答えた。
「千年桜について何かご存知ありませんか?」
そう尋ねると今まで沈黙していた旦那さんのほうが口を開いた。
「あんたは、いつまで京にいるんだね?」
「年明けまではいるつもりです」
そうですか、と短く切り少しの沈黙の後、名前を聞いてもかまわないか、と言われた。
「あ、申し遅れました、私、土方といいます」
「土方…」
やはり京都の人には受けが良くないか。けど、苗字は変えたくとも変えられない。
「ほな土方はん、日が暮れたらここへ来てもらえますか?」
それから私は日が落ちるまでの数時間、久方ぶりのゆっくりとした時間を楽しみ、約束どおり公園へと足を向ける。
空は橙から紫、そして濃紺へと色を変えて、街灯とおぼろげで頼りない月明かりが闇を照らしていた。
「遅くなって申し訳ありません」
「お気になさらずに、ほな行きまひょか」
ぼんやりとうつしだされた2人の表情は優しい。少し歩くと、老夫婦は不意に立ち止まった。
「土方はん、これが千年桜です」
そう言われて目にしたのは、ただの常用樹だった。
「この木が、千年桜・・・?」
そうです、と老夫婦は笑う。
「そこからでは分からないでしょう、こちらへ」
まさかその木が桜に変化するわけがない。けれど、そんなことを口に出せるはずもなく私は言われるがまま場所を移動し、樹木を見上げた。
――桜、だった。
それは確かに、真白い花を一面に咲かせた桜の木だった。
「どうどす?」
「………綺麗」
それ以外に言葉が見つけられなかった。
月明かりと街灯の明かりがその木の葉を白く、桜の花弁のように見せているのだ。
本物の桜ではない。それでも、桜でないとわかっていても・・・ただ、綺麗だと思った。
奥さんはこの木―千年桜について色々と話しをしてくれた。
桜のように見えるのは冬の時期しかないこと、二人の思い出の木であること、そして………。
「土方はんが、唯一素顔をみせなはった場所です」
「え・・・?」
あんたはんとは違いますえ、と奥さんは笑う。
「すべてを背負い鬼として生きようとしはった方どした。最後にいらしたのは、慶応元年の二月どしたなぁ…。」
・・・いったい、何の冗談だろうか。
考えているうちに、突然強風が吹いて花びらがどこからともなく舞い上がる。
その風に動じずに寄り添って立つ老夫婦が何かを告げているが、風の音でよく聞こえない。
かろうじで読み取れたのは・・・
「名前を恥じぬように」
それだけだった。そして、目の前が真っ白になって私の意識はブラックアウト。
ふと気がつくと、私は朝日が眩しく差し込む円山公園の枝垂桜の下にいた。
「………夢?」
まさか、そんなはずはない。その一心で、今までいたはずの場所へと急ぐ。
木は確かにあった。暗闇の中で見たあの木。木に触れようとした瞬間、ガウンのポケットが震動する。
「よ、無事着いたか?」
「………今頃何言ってるんですか。編集長。もう、一日たってますよ」
「はあ? お前、何寝ぼけてんだ?今日出発したんだろうが」
雑談を交わした後、携帯のディスプレイを見ると・・・十二月二十九日。京都に着いたその日だった。
「な・・・んで?」
そのとき、ふっと自分の言葉を思い出した。
「ゆっくりしたくて」
ああ、そうか。
千年桜は見つけた者の願いを必ずかなえるのだっけ。
私はその場に座り込み、パソコンを立ち上げる。
千年桜は実在した、とそこまで書いたとき眼前に何かが舞った。
――桜の花びら。
そっと手に取ると、あの老夫婦の幸せそうな微笑が浮かんだ。
願いをかなえる千年桜は私と、私と同じ名を持つ鬼と、あの老夫婦だけの物語で終わらせるのもいいかもしれない。
そう思って、私は静かにノートパソコンを閉じた。
千年桜は私の胸中に静かに宿っている。
観光地で出逢った、不思議で優しい物語として。
………年が明け、編集者に戻った私がこっぴどくしぼられたのは言うまでもない。