ものすごい落下感に気分が悪くなる。それは目を閉じているから尚更、浮遊感として全身が凍るような気持ちになる。前髪が思い切り吹き上げられ、足元が覚束ない。直人は思わず反射的にバタバタと暴れていた。
「くそー、降ろしやがれこの変態まほーつかいぃいっっ!!」
「ははは、王子、あなたは楽しい方だ。……落としますよ?」
「……っっ!!」
瞬間、体が固まる。くすくすと笑い声が聞こえ、またもからかわれたことを知る。
「テメッ、この……」
「ほら、怖がらないで。ゆっくりと目を開けて御覧なさいナオト」
びゅうびゅうと唸る頬をぶつ風の中、シードが優しく耳元で囁く。「空はこんなにも広い」
なぜか逆らおうとは思わなかった。そっと瞼を上げると、瞬間、切り裂くような風。ナイフみたいに体中で、痛みを感じる。けれど、もちろん何も切れはしなくて。そして目の中に飛び込んでくるひどい青。青。青。一瞬、学校のプールの中にいると思った。だが、息はできる。だが、脳裏に瞬間的に焼け付く色。遥か下には小さく家と、森が見える。
真実、飛んでいるというわけだ。
「う……わ……」
いや、飛んでいるというのは少し違うかもしれぬ。足元を見ると、柔らかに蔦が足場を作っていた。正確に言えば、直人たちはその上を走っているのだった。
「さぁ手をしっかりと握って! もっと高みへと登りますゆえ!」
「わ……わわっ……!!?」
「きゃーー!」
反応する間もなく、突然、ぐん、と体が急激に持ち上げられた。
瞬間、耳を走る風、鼻につく青臭い匂い。
ふと隣の魔法使いを見れば、その綺麗な顔に相変わらず優雅な笑みを浮かべている。顎をしゃくるように頭を振れば、魔法使いは指揮者へと変わる。湧き出す緑の音楽。3人はどんどんその上を駆け上がっていく。いったいどこまで上空へと昇るのだろう。そんな思いが頭をよぎるくらいに、シードは歩みを止めぬ。気圧の変化で鼓膜が変になってくる。だが、それでも足を進める。地上がどんどん離れていく。マンションはどこらへんにあるのだろう。しかし、ついに家々は豆粒みたいになって、森だけがまだはっきりと見えるくらいになった。シードが叫んだのはその時だった。
「ほら、見えてきましたよ! あれが我らの城です!」
指し示された方を見上げて、思わず驚愕した。
なんだ、これは。
高い高い雲の上、大きな影を落としながら浮かんでいるのは、バカでかい緑の球体だった。蔦と蔦が絡み合い複雑な様相を呈したそれは、そう城というよりは要塞だ。しかし、たくさんの鳥を従わせたその姿はどこかユーモラスでもあり、ゆっくりと飛んでいる様は巨大な象を思わせる。
「さぁ参りましょう、我らが城へ! エスコートいたしますが?」
優雅に笑った魔法使いを思わず蹴っていた。
手を引かれるまま、直人たちは自分たちの身長の十数倍はあろうかと思われるような荘厳な扉へと向かって歩いていく。こんなの、どうやって開けるんだよ、という直人の思いなどはまったく想像もしないらしい。扉は誰も手を触れないのにゆっくりと観音開きに開いた。
『お帰りなさいませ、王子、姫』
『お帰りなさいませ』
『お帰りなさいませ』
敷かれた赤い絨毯に花道を作って深々と頭を下げていたのは、何とも奇妙な生き物たちだった。
頭は花で体も植物、しかし、エプロンをかけたり、剣を下げたり、まるでその仕草は人間そのものである。操は興味津々という様で嬉しそうにそれを見ているが、直人には気味が悪かった。
「シード、あれはなに?」
「彼らですか? 彼らは女王のしもべたちですよ」
「じょおう? しもべ?」
「しもべというのは召使という意味です。女王は、またあとで会わせてさしあげる。楽しみにしておいてください」
と、相変わらず感情が読めない笑みで笑う。
城の中はあっけに取られるほど広かった。上が見えないくらいに高い天井、シードの革靴と直人のスニーカー、操のサンダルの足音だけが冷たく白い床に高く響く。こういうのを大理石というのだろうか。
『シード様、ここからはわたくしがご案内しもうしあげます』
目の前に立っていたのはウサギだった。いや、正確に言えばウサギの頭をした二本足で歩く生き物だったが。
「おや、タイム殿かい? それでは謹んでお願い申し上げる」
タイムと呼ばれたウサギは軽く会釈をして、それから前に立って歩き出した。
「――もうそろそろ晩餐の時間。お腹がおすきにならないか、ふたりとも」
そう案内されたのはこれまた大きな食堂だった。縦に長細いような部屋で、その中央にはかなり大きなテーブルが置いてあり、そして明らかに食事と思われる銀の蓋で覆われた皿がセットされてあった。
確かに腹は空いていた。けれど、
――知らない人に着いて行っちゃダメだぞ。
ずいぶん前に聞いた言葉が頭をよぎって、それが一瞬のためらいになる。
「ナオ、君はごちそうは嫌いかい?」
シードが銀の蓋をひとつ取り、その前に直人を座らせた。それからパタン、と蓋を閉じる。瞬間、目に焼きついたのは何ともうまそうなハンバーグだった。思わず、シードを恨めしく睨む。どうして、この男は直人の大好物を知っているのだろう。
「姫はもう食べはじめていらっしゃるが?」
向かいの席を見ると、操は大好きなお子様ランチを嬉しそうに口に運んでいた。あんまりに夢中になっているため、口の回りはソースでべたべたである。
「さ、ナオ」
シードはにこりと笑うと、再び銀の蓋を取った。返事代わりに腹の虫がなった。
ハンバーグを食べながら、直人は自分がいつのまにか目の前のシードを会った時ほどは怪しく思っていないことに気がついていた。どちらかといえば、今感じるのは懐かしさ。王子やナオトやナオなど、彼は勝手に直人のことを呼ぶが、嫌悪感はないし、そのふざけたような態度も決して嫌ではない。それにシードの笑顔もまた、どこか慕わしさを感じさせる。
ハンバーグはとても美味しかった。けれど、その味にも懐かしさを感じてしまった直人がいる。それは以前、よく食べていた味であった。だとしたら、一体どこで? 答えに辿り着けないまま、気がつけば食事を終えていた。
「――次はどこ行くの?」
しかし、その問いもシードは曖昧にはぐらかす。
「さぁ、それはお楽しみですよ」
直人は思わず頬を膨らましていた。「ケチ!」
そして、直人は剣を手に戦っている。いや、剣とはいってもここに来る際にシードにもらった偽物であるし、戦っているといっても、本当の命のやり取りではない。そう、言うなればチャンバラごっこのようなものだ。
ルールは簡単。茂っている蔦を自由に動かして持っている剣で対戦相手の頭についている大きな風船かずらの実を割ればいいだけ。
現在の対戦相手はシードだった。なぜなら、直人があっという間に城のしもべたちを倒してしまったからである。今まで剣道などはやったことがないが、案外に向いているのかもしれない。
シードは強かった。さすがに魔法使いを自称するだけあって、思わぬところから蔦が這い出してきて、近づけてさえもらえぬ。しかし、楽しかった。そういえば、こんなに楽しいと感じたことが最近あっただろうか。
いつも夕方は友達と遊びもせずに妹を迎えに行って、家に帰って夕ご飯を作って父を待っていた。しかし、父は連絡を入れずに夜遅くに帰ってきて、ご飯はいらぬ、ということもよくあった。
――よろしければ、姫君と王子を我らの城に招待いたしますが? 何か美味しいものでも食べて、楽しいことをしてみなで遊びましょう?
エスコートいたしますよ。
ずっとここにいたい、といえば、シードは居させてくれるだろうか。ここでシードと操と3人で、ずっとずっと、永遠にこうして暮らすのだ。いや、案外あっさりオーケーを得られるかもしれぬ。
そんなことを考えていた時だった。急に足首をにゅ、と掴まれて、思い切り後ろへと引き倒された。視界は反転。またも逆さに吊り下げられて、直人は叫んだ。「何すんだ、降ろせボケーーーー!!!」
「はい、私の勝ち」
ぱん、と魔法使いが直人の風船かずらを割った。
チャンバラごっこの時に操の姿が見えないと思っていたら、どうやら別室でままごとをしていたようだった。普段は直人はあまり付き合ってはやれないから、少しだけ感謝しつつ、その部屋へとシードが見当たらなかったため、タイムに案内してもらう。
「ミーサ?」
部屋に入った瞬間、直人は思わず固まった。
そこは部屋というより温室といった方が近いかもしれない。光がさんさんと降り注ぐドーム状になった天窓に、湧き出るような緑が生い茂っている。その真ん中に操とその女性はいた。向かい合って楽しそうにままごとをしている。直人に気がついたのか、操が楽しそうに笑った。「にぃに、ママだよーー!」
女性――母・衿香は以前と変わらぬ笑みを向けた。白いワンピースはよく母が好んで身に着けていたものであった。
「ナオ……?」
静かで透明な声も同じだった。直人は目の前がぼやけるのを感じた。気がつけば、ぼろぼろっと水の粒が目からこぼれていた。その白へと向かって、ゆっくり歩き出す。その柔らかさに辿り着いた瞬間、嗅ぎ覚えのある石鹸のにおいに胸が熱くなった。ぎゅっとすがりつくと、優しい手が背を撫でてくれた。
「にぃに、ミサもー!!」
「はいはい、ミサもね」
妹が腕の中に潜りこんで来るのを抱え込んだ。牛乳の香りがする。
――父さんもくれば良かったのに……。
しかし、それを破る、声。
「おや、こちらにおられましたか、王子さま?」
顔を上げると相変わらず優雅な笑みを浮かべた魔法使いが立っていた。直人は思わず強く母に抱きついた。
「ナオとミサがここにいるなんておかしいと思ったわ。あなたが連れてきたのね、種彦――いいえ、今はシードと呼んだ方がいいのかしら?」
「何のことやら、女王さま?」
二人の間に流れる空気がぴりぴりと痛くて身をよじる。それに気がついたのか、衿香は直人と操を引き離すと、にこりと優しく微笑んだ。「ナオ、ミサ。この後、ダンスパーティがあるのよ。参加してくれる?」
「かあさん、女王さまって……?」
「ええ、あなたたちは驚くかもしれないけれど、おかあさんはここの女王さまなの。といっても、別に何かしているわけではないけれど」
「ママ……?」
ワンピースの裾を掴んだ操に母はさも愛しげに頬ずりをした。「大丈夫。なにも変わってないもの」
「さて、ナオ、ミサ。女王さまからのお言葉です。さっそく、準備をしていただかないとね」
「かまわないわ、シード。この子たちはこのままの服装で参加させてやって頂戴」
「御意」
と優雅に笑うシード。しかし、と暗い目で女王を見た。「何か企んでおいでか?」
「なぜ? それよりもさっさとダンスパーティでもなんでも始めなさい、種彦」
「仰せのままに。――さぁ、行きましょうか?」
シードに背を押されながらも、直人は母に視線を送る。衿香は小さく笑ってみせただけだった。
「王子、姫、あなたがた、ずっとここに留まる気はありませんか?」
広い廊下でシードの言葉だけがよく通った。
「えっ? 留まる? って、ずっとここにいろってこと?」
とこれは直人。ええ、とシードが頷いた。「ここには美味しい食事も、楽しい遊びも、それに私も女王もいる。悪い話ではない」
「それは、そうだけど……」
直人の頭に浮かんだのは父の姿だった。そういえば、怒らせたまま出てきてしまったのだ。でも、あれは母を裏切ろうとした父が悪い。
「ミサ、おうち帰りたい……」
妹の言葉にハッとした。思わずシードを振り返ると、相変わらずの人を食ったような笑顔で笑っているだけだった。
「シード……俺たち……」
「結論を求めるのは尚早でした。決めるのはダンスパーティに出てからでも遅くはありませんよ。参りましょう」
シードが二人の手を取った。しかし、そこには先ほどまでの暖かさはまるでなく、痺れるような冷たさが直人の背筋を撫でたのであった。
「お前次第だぜ、直人」
「え……っ?」
「お前が決めれば、操は着いてくるからなあ」
にたぁ、と笑って、先ほどまでの振る舞いはどこへ行ったのか、そう囁いたのだった。「期待していますよ、王子?」
手を振り払いたかった。しかし、冷たい手はまったく直人と操を離そうとする様子はなく、逆に骨が砕けると思うくらいの強さで握り締めてきた。
ダンスパーティ自体は非常に楽しかった。花と植物のオーケストラが奏でる楽しい音楽に合わせて、誘われるがままに踊る。ダンスなどしたこともなかったが、まったくの素人の直人を植物たちは優雅にエスコートしてくれる。
操とも踊った。きゃあきゃあ言う妹を存分に振り回して踊る。とても楽しかった。
数人の植物たちと踊るとさすがに疲れもあって、一息入れようとバイキングのコーナーに行った。バイキングとはいっても、サンドイッチやお菓子や紅茶などの様々な軽い食事が置いてある。操は花のような形をした甘いお菓子を気に入ってそればかり食べている。あまり甘いものを食べさせていると父に怒られる。太るし、すぐ虫歯になってしまうからだ。
止めようと声をかけかけた時、すっと誰かが直人の横を通って操からうまいことお菓子を取り上げた。直人は思わず目を丸くした。「母さん……」
花の王冠をつけ、豪奢な淡い緑色のドレスに着替えた母は、どこからどうみても女王の風格だった。衿香はにこりと笑うと、直人に手を差し出した。「ナオ、ダンスに誘ってくれないかしら?」
直人はその手を取った。柔らかい手だった。
そのままダンスホールへと繰り出す。突然の女王の登場に植物たちは驚いてはいたが好意的であった。
「種彦――いいえ、シードから妙なことを言われたでしょう?」
ダンスの合間に衿香は小さく言った。
「妙な、っていうか、ずっとここにいる気はないか、とは、言われたよ」
「ごめんなさいね、あの子の言うことは気にしなくていいから。帰りたかったら好きに帰りなさい、直人」
「母さん! でも、知ってるの!? 父さんは母さんを裏切ってるんだよ!? 嫌だよ! 怒らないの!?」
「なぜ?」
本当に理由がわからない、というような母の表情に直人は拍子抜けした。「へ……?」
「あのね、直人。母さんは死んだのよ? 死んだら心の中にはいられても、もう本当の意味で側にはいられないの」
「でも……」
直人は唇をかみ締めた。「でも、俺の母さんはひとりだけだ!」
衿香は優しく笑って、それから直人の頬にそっと手をやった。
「だったら、それはそれでいいじゃない。無理に受け入れなくたって大丈夫だからね。だって、直人は峻とは違うんだもの。受け入れるペースが違ったって、何もおかしくないし、誰も責めないよ」
「でも、父さんは……」
「大丈夫、ちゃんと怒っといてあげるから」
直人の脳裏に浮かんだのは、母に怒られて苦い顔をしている父の姿だった。それが情けなさそうで、思わず泣き笑いみたいになってしまう。衿香はゆっくりとステップを踏む。
「それに直人はこれまでよく頑張ってきたから、これはご褒美だって思わない? 家事、もうやらないでいいんだからね。なつきさんにやってもらえばいいよ。いっぱいいっぱい、新しいお友達と遊べばいい。――ここで種彦たちと遊んだみたいに」
直人は顔を上げた。女王は優しく笑っていた。帰りたい? とその目が問うていた。直人はこっくりと頷いた。「父さんが、心配してるから」
女王は動きを止めた。そして、素早く手を組み呟く。「ごめんなさい、種彦……!」
瞬間、女王と直人の真下の床にぽっかりと穴が開いた。
女王に腰を抱き取られ、いつのまにやら彼女のもう一方の腕にはわけがわかっていなさそうな様子の妹がいた。
「お行きなさい! 風を呼ぶから、早く峻のところへ帰って!」
「母さんは!?」
「言ったでしょう、私はもう死んでるわ! だからあなたたちとは行けない!」
「でも……うわぁああっ!!?」
そして、空中に放り投げられた。直人は動転したが、すぐに我に返って妹を掴み取りに行く。
「させるか!」
蔓が伸びて操に巻きつこうとしたところにつむじ風が飛んできて、それを断ち切った。直人は操をキャッチしたが、瞬間、膨大な量の蔦が周り中から迫ってきて、空中のために身をよじることもできない。思わず目を閉じた。しかし、爆弾でも破裂するような音とともに緑は四散していた。辺りに立ち込める青臭い匂いに直人は思わず上を見上げる。
「させないわ!」
上で睨みあっているのは魔法使いと女王だった。
「どうして邪魔をするんだ、衿香! あの子供たちを峻の元に戻らせるなど悔しくないのか!?」
「悔しいないのかですって!? 悔しいに決まっている! でもね、あなたのやっていることは間違っているわ!!」
「間違っていて何が悪い! 俺は衿香が寂しいのなんて嫌なんだ!! 絶対帰さないぜ、王子さまよぉ!!」
シードが右腕を勢いよく振ると、再び蔓が勢いを取り戻した。すごい速さで直人たちに絡みつき、一気に自由を奪われる。
「いい加減になさい、種彦!」
乾いた音が聞こえたのはその時だった。シードが右頬を押さえて呆然としている。「なん……で……?」
「それは自分の頭でよく考えなさい! 私は直人と操を送り返してきます!」
直人のすぐそばに女王がふわりと降り立った。直人たちを縛る蔓にふう、と息を吹きかけると、それらはすぐに緩くなった。
「母さん……」
「ごめんなさい。シードは悪い人間ではないの。でも、少しだけ私のことが好きすぎるから……」
直人は操と顔を見合わせた。
シードが優しいことなどとうに知っている。だって、口ではどんなことを言ったって、あんなに楽しそうに遊んでくれた。
母はにこりと笑った。「送っていきましょう。次に会う時はもっと違う形で会いたいわね」
それからそれぞれの額にキスをひとつずつくれた。
目を開ければ、父の顔がどアップで飛び込んできてかなり驚いてしまった。白い壁と白い天井がまぶしくて、思わず目を細める。
そこは病院であった。
「とうさん、なんで……?」
「お前が森の中で倒れてた、って聞いて飛んできたんだ! しかもなかなか目が覚めないし!」
父の顔を見ると、情けない表情でさらに面食らう。「心配、したんだからな……」
「ごめん……」
素直に口についた言葉だった。
「にぃに〜!!」
軽い足音とともにいきなり思い切り腹の上に乗られて、直人は思わず咳き込んだ。操がにこにこと楽しげに笑っている。あまりにいつも通りで、直人は混乱する。
「かあさんは……?」
父の目が大きく見開かれた。「ナオ、お前……!?」
「え……っ?」
「なつき、直人がお前のこと呼んでるぞ!」
直人は単純な父とその新たな妻に呆れて言葉も出なかった。けれど、なんだかもうどうでも良くなった気がする。
さっきまでの出来事が夢だとか夢じゃなかっただとか、そういうことも含めて、だ。
「ナオくん、気がついてくれて本当に良かったわ! 私も心配で心配で……」
「はいはい、ありがとうございます……」
「直人、なんだその口の利き方は!?」
「俺の勝手じゃん」
直人は何だかスッキリしていた。口調は同じようなものだったが、以前よりは全然、気持ちが違うように思われるのだ。あんたが勝手に選んできたんだから、俺が受け入れようが受け入れまいが、勝手だろ? しかし、どっちにしたっていずれは認めてしまうのだと思う。確かになつきはちょっと無神経だが、割にいい人だ。
「――それにしても因縁かな。まさか、衿香の故郷に来るなり、丈夫なお前がぶっ倒れるなんてなぁ」
ベッド脇に座った父がぼんやりと言った。なつきはどうやら仕事で呼ばれて出ていったらしい。直人はお見舞いに貰った桃をくるくると器用に剥きながら、問いを返した。「ここ、母さんの故郷なの?」
「まあな。お前に隠しても仕方がないから言うが、お前らがなつきを受け入れてない、ってのは薄々感じてたからな。点数稼ぎってのもあったのか、衿香の故郷で暮らそうか、ってなつきが言い出した。仕事のこともあったんだろうけどな」
直人は小さく笑った。「バカだね。無神経だとは思ってたけど」
「直人!」
「別に、もう俺はどっちだっていいよ。父さんがしたいようにすれば?」
はい、桃。
綺麗に剥かれたそれに、峻は溜息をついた。「もう、お前ってやつは……。すぐそうやって……」
「母さんに怒られた?」
「……はぁ?」
直人は小さく笑った。「ううん、なんでもないよ」
訝しげな顔をしていた父だったが、桃を食べながら、ああそういえば、と思い出したように言った。「お前は会ったことなかったと思うが、衿香といえば、この病院にあいつの弟が入院してんだよな」
「えっ……?」
父はちらり、と直人を見た。「会ってみるか?」
病室に入ると青白い顔をした青年が、たくさんのチューブに繋がれて眠っていた。体にあんなに管が入るものなのか。顔もパンパンに腫れて。
「種彦くんだ。半年前に交通事故にあって、それからずっとこうなんだ」
――信じて。私はあなたたちだけの魔法使いだ。
そうして、今こうして目の前で眠っている姿よりはずっと幼かった彼は優雅に笑って手を差し伸べてくれる。
「操、連れてきて」
戸惑う父に、直人は鋭く言った。「ミサだよ。ここに早く!」
操はすぐに連れて来られた。わけのわかっていない妹を膝に据わらせると、直人は青年の手を掴んで、爪に唇を当てる。
帰って来いよ。
お前は魔法使いなんだろ?